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04.24.01:43

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  • 04/24/01:43

08.14.00:35

主義と友情


信じてくれ。
私がこのブログを決して見捨てていないことを。




皆様今晩は。
和中です。

とても疲れています。
早く寝るつもり。


------------------------------------------------
「主義と傷」



この考えは、
本当は「主義と友情」というタイトルでも良かったんだけど。

私は、
ときどき、わからなくなる。


人は、自分の人生を有意義なものにしようと、
一生懸命生きていこうとする。

人は弱いから、1人では生きていけなくて、
多くの人と支えあいながら、一緒に生きていかなきゃならない生き物。

人は、自分の人生をより有意義なものにしようと、
自分の生きかた、みんなで生きていく方法、周りのことについて一生懸命考える。
どうすれば、自分の人生が有意義になるかと。

しかし、人は、主義や自分の考えを、しっかりと持ちすぎると、
人と一緒に円満には暮らしていけないと思ってしまう。




自分が生きていく上で、とても大事にするもの。
それが主義であったり価値観であったりする。

対して重要じゃないことならいいけど、
自分の大切にしていることは譲りながら生きていけない。


分かち合えない主義を持ち合わせた友人とは、
いずれ別れなければならないのだろうか。


私も20歳を超えて、昔は持っていなかった、大事にする考え方を持ってしまっている。


それが友と分かち合えないとき、
私にとってとても大切な友か、
私にとってとても大切な主義か。

どちらかを犠牲にしなければならないのだろうか。
私は、わからなくなってしまう。



別にそういった場面に直面しているわけでもないが、
逆に言えば、毎日そういった場面に触れない日はない。

私が特に、他人の考えを尊重できない、
譲る心が狭い、多様な価値観を認めない・・・ということも一理ある。


しかし、
たとえそれらを改善しても、私は私が危惧する選択がなくなるとは思わない。



友が、わかってくれることを。
私が、友を理解できるようになることを。
一度別れた友が、再びもどってきてくれることを願いながら・・・といった感じでしょうか。


根拠も、
理由も、
なーんにも難しいこと抜きに、

みんな今宵だけは幸せに包まれていたらいいのにって思います。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------

というわけで、
お久しぶりで、記事をかきましたが、
今日はこの辺で眠ります。

自分が傲慢ではないか、
考え方が偏ってはいないか、心配しています。

気になるところがあれば、コメントをいただけると、私は幸せです。



静かなジャズを聴いています。

ほんと、幸せ♪




おやすみなさいな~



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07.28.14:22

この国を見限る論1


大雨である。
積乱雲の力強さをまじまじと見つめるのは飽きないのである。

私は一足先に部屋に戻ったから、こう余裕をかましていられるものの、
これをまともに食らったら大変です。
大雨と風と雷が止みません。
警報も出ているようです。


この隙に、ブログを更新♪




---------------------------------------------------------

本日のテストも、
どういうわけか、余裕なのであったわけです。

おかしい。いつもこうだっけか?
やはり無用な心配をしてただけなのか。

や、こう油断しているときに、痛いことになるのだ。
人生まだ短しといへども、失敗から学んでいるのだ。




テストが、余裕であるといっても、
授業はもちろん(今期は、寝坊が多かったわけであるが)、
数週間前から、しんしんと勉強し始め、集中力と緊張感をねりあげて、
きらさない作業をしてきているわけです。(途中で一度切れたわけであるが。)

正直、大変なのです。



たしかに、自分がこう苦労しているのに・・・という不公平感からくる苛立ちもあるが、
それとは違う、もっと心外な気持ちとともに、この国を見限る気持ちになるのは、

講義ノート屋に行列ができている景色である。

気持ちを先に書けば、私はがっかりである。
この国に今後来る危難を、みんなでチカラをあわせて乗り越えようとか、
このままでは困る人がたくさん出て大変だ!とか・・・そんな気持ちが興ざめである。

もう一度転んで痛い目を見ないとわからないのさ。
勝手にそうしているがいい。もう知らない。



・・・・深呼吸。落ち着こう。うん。

講義ノートを買う。
これで私が心外な気持ちになるのは、何故であろうか。

多分。
大学という高等教育を受けているにも関わらず、
テストで正解を書いて、単位を取ることのみしか、大学で行っていないのではないか。

学問をすることがないのではないか。



では、なんで、大学生は学問をしなければならない(と、私が考える)か。

①知る喜びがあるのにもったいない(と私が感じる)
②社会的コストの浪費
③第三者の高等教育の機会を喪失している(のがもったいないと私が感じる) とかかな。。。

まさか日本の教育は、
学問以外に何か私のわからないサムシングを得ることが大事ってなってるんか。
やーそれは私はあまり信じていない。やはり学問ははずせないだろう。多分。

②とかもうかなり、見限る論のコアな部分である。

教育は消費財としての正確(つまり①の性質)と投資財としての性質がある。
高等教育を受けることで、初めてできる仕事や、社会貢献があるのである。

そのために大学があるという側面もある。
ただの数年のお楽しみタイムではないのだ。

今の私達の社会では、「みんなで一緒に暮らして行く」ために、
ある年齢になれば、みんなで暮らして行くための仕事を分担しなければならない。

それがメーカーであったり、市役所であったり、医者であったりする。
仕事は何であれ、要するに、社会を支える仕事をする責任が出てくるのである。

そのため、大学生という年齢にも、責任を意識しなければならない。

先述のとおり、より特殊な仕事ができるように、高等教育をする。
そのためには様々なコストがかかる。親や、学校法人、社会全体がそれを支払う。
コストは回収できるから、支払っているのだ。

学問をしないことが、高等教育を受けていないことになるなら、
コストは無駄になるということである。
コストを無駄にすることは、周りのみんなの努力を無駄にしていること。
まーそんな意識は無いにしろ、無意識に周りの努力をムゲにしているのだ。

―「そんなこと知りませんでした。」が罪になる。のはこの部分であるが―

「みんなで一緒に生きていこう」というムーブメントに参加しない、
参加する意欲がない人だらけの国に、貢献しようというエネルギーも興ざめであるというわけである。


要するに、②は、学問をしないことそのものより、そのことによって、
社会、世の中、自分の周りに貢献しようとしない、身勝手さを感じるのが嫌なのだ。



①も③も、より深く説明したいところではあるが、
おなかがすいたので、失敬。



雨はやむかな?
でははん♪

07.28.00:39

目線を高く


うむ。
前のメニューにはない題ですが、緊急テーマとして。


最近は、テストがきて、忙殺されながらも、
前回のテストとは違って、なんだか余裕で山場を越えてしまいました。


しかし、中だるみ。



これはよくない。
テストだけのことじゃない。


忙しさと、その中の中だるみで目線が下がっています。
私は何か目標や、高いものを目指していないと、失速します。


多分、希望ある明日を目指すことを忘れてたのは、
しばらく1人で行動していたからかな?


さきほど、オリンピックで上を目指す選手を何人か見て、
「おっ。これこれ」という感触を得て、今に至ります。



昔はミルコ・クロコップがこの思い出させ役だったのですが、
最近は彼がいないので。



まだ。
まだたりん。

もっと何か、「自分って今これを目指してて、わくわくするし、まけてられるか」的な
気持ちとともに、意図しなくとも常にあり、濃すぎず、私を包む殺気をまといたい笑



彼の名前は北島コウスケというようだ。

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