04.11.17:58
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12.17.00:26
抜刀できるのか
寒いですな。
結構、追い込まれているのに、ブログ。
「ぼく」カテゴリー。
いざというとき、
やるべきと思うことをやれるのか。
それをよく、
「抜刀できるのか、深く刺すことができるのか」と表現します。
私は、いざというとき、抜刀できるのか。
いつも考えてしまう。
そして時々できていない。
刀を抜けない、邪魔をするのは、利己・保身の気持ちや自分が傷つくことの恐れです。
「失敗すると、自分が恥ずかしい思いをするんじゃないか」
「こんなことすると、自分は、とてもつらくてしんどいじゃないか」
「それは目をつぶっといたほうが、私は得をするなぁ」
そんな気持ちが、刀を抜けなくするのだ。
しかし、
いつも後悔する。
そんなこと、
なんてどうでもいいことで刀を抜かなかったんだろう。
そんなくだらないことで、私がどうなると言うのだろう。
もっと大切なことを、私は失ったのではないだろうか。
・外国人が駅で困っているとき
・みんながやりたくないことの前で手をあげないとき
・権威による理不尽な行動に直面しているとき とかとか。
くそ!!!!
修行がたりないのだш(゜皿゜ )ш!!!!!!!!!!!!!
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12.14.21:45
怒りエネルギー
怒りはすごいエネルギーですね。
最近は、怒りエネルギーをうまく使います。
使えてるはず。
よくない面と、よい面があります。
よくない面。
理性を失う。
感謝とか利他の気持ちとかなくなる。
要するに、自分が一番で、自分の思い通りにならないことは、すべて受け付けない感情が源。
よい面。
エネルギーが継続して放出される。倒れない。
このよい面は最高。
わざと、ガンガンとした音楽でたきつけて、
怒鳴りながら家事をする私を、みなさん許してください。
謙虚、感謝、反省などの気持ちが基本であると、
思い出すのはもっとさきのこと。
12.13.01:28
自分の幸せ
自分の内容です。
ぼく、けっこう堅いことばっかり考えて、真面目って言われます。
ある人はネクラって僕のことを言いましたね。
堅いことを考えるのが結構好きで、
なんだか大事なことなので、考えなきゃいけない気もするのです。
でも、人生で、いつも、
「堅いこと」の裏に、あそびや、ラクな世界が広がっていました。
中学くらいからかな。
まじめと不良という形で、堅いことと、あそびやラクな世界が分かれて見えたのは。
私は、「堅いこと」に邁進する一方、
あそびやラクな世界に少し憧れていました。
簡単な表現をすると、しばしば不良がカッコよく見えるのです。
そこに踏み込みたい、踏み込めない自分は、
堅いことに邁進してきました。無理はなかったが、かなり比重をかけて邁進した。と思う。
隣の芝が青く見えるという現象を何度も経験しました。
「あっちは僕と全然違う幸せの形だな・・・。」
「僕のはこんな形か・・・うーん・・・これでいいのかなぁ・・・。」
もちろんいいと思ってるから、
今に至るわけで、なんじゃコラしばくぞ的な強気もたまには見せます。
ときどき、こんな迷いが頭をよぎって、悩むとき、
人生の味だなぁと思うのです。
みんなはそんなことを思うのだろうか。




